カテゴリー「城下町・宿場町」の19件の記事

2017年5月13日 (土)

中山道を歩く~醒ヶ井宿・番場宿・鳥居本宿

2017年5月4日。中山道近江路の醒井宿(第61番宿)から番場宿(第62番宿)を経由し鳥居本宿(第63番宿)まで約8.2㎞を歩いた。醒井宿は昨年8/25に、鳥居本宿は11/6に訪ねている。

JR醒井駅から約1時間、北陸道の高架下先の小さな公園に「中山道・一里塚の跡」碑があった。
            
↓久禮(くれ)一里塚跡碑
            
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番場宿地図↓

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2017年2月 3日 (金)

鯖街道~朽木宿・熊川宿・小浜宿~その②

2016年11月20日若狭街道(鯖街道)の朽木宿からバスで福井県若狭町の「瓜破の滝」を見学後、旧若狭街道(鯖街道)を歩いて熊川宿へ。

旧若狭街道沿いの天徳寺境内奥の湧水から生ずる滝があった。「夏に瓜も割れる程に冷たい」ところから「瓜破の滝」と名付けられている。説明板には「滝の清水は五穀成熟、諸病退散の効あり」とある。滝の周辺は水の森と呼ばれており、修験者の修行地で、神聖な雰囲気が漂っていた。
                  
↓瓜破の滝                                               
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2017年1月27日 (金)

鯖街道~朽木宿・熊川宿・小浜宿~その①

2016年11月20日「鯖街道いいとこどりウォーク」に参加した。
若狭街道(鯖街道)は、若狭国(小浜)から京の都に通ずる道で複数あった。
「小浜に水揚げされた鯖を一塩にして、牛馬で熊川宿まで運搬し、熊川宿から行商人達が鯖を背負い京都まで歩いて運び、夜明け前に小浜を出発した鯖は、夕方に京都に到着をしたと言われる。」
平安時代初期から約一千年の間、若狭の一塩鯖がこの道を通って運ばれ続けたことになる。若狭街道が鯖の道、鯖街道と呼ばれた所以だ。
鯖街道 小浜~熊川~朽木~花折峠~途中峠~出町柳
今回はバスで朽木→瓜破の滝~熊川→小浜と移動し、それぞれで散策をした。
        ↓小浜と京を結ぶ道
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2017年1月19日 (木)

中山道を歩く~鳥居本宿・高宮宿~その②

2016年11月6日近江路中山道を鳥居本宿から高宮宿まで歩いた。その②は岩清水神社から南、高宮宿近辺を記す。
岩清水神社を少し行くと、街道沿いに鳥籠山(ちょうろうざん) 唯称寺(ゆいしょうじ)がある。
室町時代に天台宗から浄土真宗に改宗した。日本の寺は、昔はよく改宗をした。改宗で僧侶や檀家が反対したとかもめたという話は聞いたことがない。僧侶や檀家にとって宗旨は何なのか?
                ↓唯称寺 (彦根市大堀町)
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2017年1月11日 (水)

中山道を歩く~鳥居本宿・高宮宿~その①

近江国を通る中山道の宿場は、東から柏原・醒井・番場・鳥居本・高宮・愛知川・武佐・守山・草津・大津である。草津で東海道と合流し京都三条へ続く。
2016年11月6日鳥居本宿から高宮宿まで歩いた。

鳥居本宿の中山道沿いにこんな看板が掛かった家が数件あった。ここは「合羽所 松屋」看板は合羽をたたんだ形だ。20161106_59「鳥居本宿には、雨の多い木曽路に向かう旅人のための雨具を扱う合羽所が15軒もあった。鳥居本での合羽の製造は1970年代に終焉した。」看板のみを残し、産地の歴史を伝えている。
ここ松屋は「戦後縄づくりに転業した。2001年に家の構造はそのままに改修した。」
             ↓合羽所・松屋
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2016年12月29日 (木)

中山道を歩く~柏原宿・今須宿・関ケ原宿~その②

2016年11月2日。「中山道を歩く~柏原宿・今須宿・関ケ原宿その①」では近江国柏原から美濃国今須に入り今須峠を進むところまで。
峠を下ると線路に出る。東海道本線だ。山中踏切を渡り、山際を走る線路沿いを進む。      ↓東海道線山中踏切
20161102_108_2中山道の左手にひっそりと佇む祠がある。「常盤地蔵堂」とある。
「義経の母の常盤御前は、東国に走った義経を案じ後を追ってきた。ここ山中(やまなか)で土賊に襲われて命をおとした。哀れに思った里人がここに葬り塚を築き、塚の近くに地蔵堂を安置した。」(説明板)
                    ↓常盤地蔵堂
20161102_113_3↓「常盤御前の墓」は地蔵堂を300m程行き脇道を入った所にあった20161102_121_4「平治物語」「義経記」などで物語られる常盤御前の墓は、群馬県前橋市、鹿児島県郡山町、埼玉県飯能市など各地にあるようだ。

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2016年12月23日 (金)

中山道を歩く~柏原宿・今須宿・関ケ原宿~その①

2016年11月2日中山道の柏原(かしわばら)宿から今須(います)宿・関ケ原宿まで歩いた。
京を起点とする東海道は近江の草津まで行って東に折れる。なお草津から北上を続ける道が中山道だ。草津からの宿場は、南から草津、守山、武佐、愛知川、高宮、鳥居本、番場、醒ヶ井、柏原(ここまでが近江国次からが美濃国)今須、関ケ原だ。
柏原宿と今須宿の間に「寝物語の里」がある。

(今年の7月31日に行った柏原宿は8/26に発信している。)

「中山道・柏原宿」http://yama07.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/post-d084.html#more
                        ↓寝物語の里20161102_43

この細い川(溝?)が中山道の道幅を横切っており、溝の右側が近江(滋賀県)で左が美濃(岐阜県)だ。
「国境にある溝を挟んで旅籠があり、寝ながら他国の人と話し合えた」等地名の起源は諸説あるようだ。

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2016年10月27日 (木)

中山道・守山宿から草津宿へ~その②

2016年10月8日守山宿の「今宿一里塚」から草津宿まで歩いた。
草津宿は、中山道と東海道の分岐・合流点でその分かれ目に立つ「追分道標」↓
火袋付き常夜燈には「右東海道いせみち 左中仙道美のぢ」と刻まれている。
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2016年10月22日 (土)

中山道・守山宿から草津宿へ~その①

2016年10月8日中山道の「守山宿」から「草津宿」まで歩いた。
守山は古来東山道の宿駅として栄えた。 
江戸時代の寛永19年(1642)中山道の正式の宿場としての制札を認可された。中山道67番目の宿場で、京から東下りにおいては最初の宿泊地。「京立ち守山泊まり」と言われ明治維新まで繫栄した。
守山村を本宿とし、東に吉身村、西に今宿村を加宿とした。

加宿(かしゅく):江戸時代人家が少なく人馬を出しにくい宿駅で、隣村を加え人馬の供出に当てさせたもの。

守山宿 町家「うの家」 江戸末期から明治初期に建てられた造り酒屋。(元首相の宇野宗佑氏の実家。)現在は「守山市歴史文化まちづくり館」となっていた。
 ↓街道沿いの町家「うの家」 江戸時代の雰囲気を残している主屋
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2016年10月15日 (土)

宿場町・名張のまちなかを歩く

2016年9月10日歴史街道倶楽部「宿場町名張のまちなかを歩く」に参加した。旧市街地は閑散としており宿場町の面影はほとんどなく、初瀬(はせ)街道沿いに造り酒屋を中心とした商家の家並がわずかに残っていた。
                ↓本町の木屋正酒造
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