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2018年5月25日 (金)

京街道~枚方宿

2018年5月12日枚方宿を歩いた。
枚方宿は、東海道56番目の宿場町。京と大坂を結ぶ京街道の中間に位置し、淀川舟運の中継地で水陸交通の重要な場所として栄えた。
天野川の堤下の東見附から西見附までの約1.5㎞、道幅4.5m。「本陣、脇本陣、問屋場、旅籠や船宿等多くの町家が軒を連ねていた。」
この日,東見附跡から西見附跡までの枚方宿を歩いた。

Tizuhirakatap
枚方宿
 岡新町・岡町・三矢・泥町の四か村
人口 1549人(378軒) ・ 本陣 1軒・旅籠屋 69軒
宿建人馬 100人100匹 ・囲人馬 30人 20匹 
 

東見附跡
天野川に接する宿場の東端、昔は道の両側に松が植えられていた。
(河内名所図会による)今は「枚方宿東見附跡」の石柱と説明板がある。
*見附とは街道の分岐点など交通の要所に置かれた見張り所。

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宿場に入ると道はベージュ色に舗装されている。
小野平右衛門家

東見附から京街道を西に少し進むと、村年寄りと枚方宿の問屋役人を兼ねた小野平右衛門家が残っていた。現在の建物は幕末期のもの。
宿場内では、随所にこの様な旧家が残されていた。

   ↓街道に面して表門口には虫籠窓に蔀(格子)
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小野家は街道に面した広い間口で、表門口には揚見世(あげみせ)が現存している。これは醤油業を兼ねていた町家の遺構だ。
*揚見世~店の軒下の縁台。使用しない時は引き上げて収納する。
       
↓小野家、表門口の収納された揚見世20180512_123

「宗左の辻」と道標
京街道と磐船街道の分岐点に、製油業を営む角野宗左(そうざ)の屋敷があったので「宗左の辻」と呼ばれていた。

  ↓文政九年(1826)に建てられた京・大坂への道を示す石標
 

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京街道はイオンと岡本町公園の間を通り西へ。
妙見宮常夜燈石燈籠
表に「妙見宮」「天下泰平」「驛内安全」、裏に「嘉永七年甲寅年」(1854)と刻まれていた。
この年に開国した。(米英露と和親条約を結ぶ)社会不安が高まる中、天下泰平と枚方宿内の安全を能勢妙見宮に祈願したものだろう。

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御茶屋御殿跡
淀川と京街道を見下ろすこの地に秀吉が文禄四年(1594)御茶屋御殿を建て、「乙御前」を住まわせたと言われている。
    
↓御茶屋御殿跡から淀川と京街道を見下ろす
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意賀美(いかみ)神社
明治24年須賀神社と日吉神社を合祀して当地に鎮座した。
隣接して神仏分離で廃寺となった万年寺があった。
今は室町期の石造九重塔とその側に「長松山萬年寺」と彫られた石塔があるのみ。
     
室町期の石造九重塔

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本陣跡 
旧三ツ矢村のこの地(現三ツ矢公園)に建坪215坪の本陣は建っていた。
代々池尻善右衛門家が経営していた。「参勤交代の大名行列が宿泊するときはたいそうな物々しさで、ことに御三家の一つ紀州藩の大名行列には近郷近在からの見物が多かった。」明治三年本陣廃止で後に郡役所が移ってきた。
 
        ↓枚方宿本陣跡碑
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木南善右衛門家
泥町村の庄屋と問屋役人を兼ねた木南家。虫籠窓と出格子の建物は明治期のもの。

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   ↓京街道の雰囲気を残す旧家が残っていた。

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鍵屋

江戸時代淀川往来の船(三十石船)を待つことができる「船待ち宿」を営んでいた。表玄関は京街道に面し、裏口は淀川に面しており船の乗り降りに最適だった。

現在は枚方宿の古文書、出土遺物、民俗資料が展示されている「枚方宿鍵屋資料館」になっている。
敷地内には江戸時代の町家「主屋」と昭和初期の「別棟」の2つの建物があった。
        
↓京街道に面した主屋・文化八年(1811)の建築

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       ↓ 西見附跡

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