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2017年3月13日 (月)

醤油発祥の地~湯浅町

2017年2月26日歴史街道倶楽部で和歌山県湯浅町に行った。湯浅町は、和歌山県の中部西岸に位置し、周りを海と山が取り囲んでいる。
熊野街道が町中を通っており古くから交通の要衝だった。また醤油発祥の地として知られている。旧市街地には江戸時代の街並みが残っていた。

湯浅駅近くにこんな像が
江戸で巨万の財を築いた豪商紀伊国屋文左衛門(幼少名 文平)はここ湯浅で生まれた。「商人としての独創性、勇敢な冒険心、身を引く潔さ---紀州人の誇り」
        ↓荒海にみかん船をこぎ出そうとする文平の勇姿 

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道町の立石(たていし)道標  東面に「きみゐでら」、北面に「まっすぐ熊野道」、南面に「いせかうや道」と刻まれていた。天保九年(1838)建立。

20170226_32「熊野街道が室町時代より商店街の中を通り旅人の物資調達の場として栄えた」熊野街道が町中を通っているのは湯浅だけらしい。
立石茶屋 熊野街道を挟んで、道標の対角に建つ。江戸後期の町家を改修した休憩所。
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JR湯浅駅から徒歩約15分で、旧市街地の北西に位置する「重要伝統的建造物群保存地区」(東西約400m、南北約280m)に至る。
16世紀末頃に開発された醤油醸造業が最も盛んであった一帯。「通り」「小路」で面的に広がる特徴的な地割りと、醸造関連の町家や土蔵を代表とする近世から近代にかけての伝統的な建造物が良く残されていた。


現在の醤油は鎌倉時代、紀州の禅寺「興国寺」の開祖「法燈国師」が南宋から伝えた嘗(なめ)味噌(現在の金山寺味噌)が母体とされている。江戸時代、人家1000戸の湯浅に92軒の醬油屋が軒を並べていた。今では町内で数軒の醸造業者が残るのみ。工場での大量生産ではなく、手作業による伝統的な製造方法は脈々と受け継がれている。

津浦家かつては醸造用麹の製造販売店。主屋は明治11年の建築。
庇の軒先に木製の板が下げられている。東海道の関宿や因幡街道の平福宿でも見たことがある。これを幕板という。雨水や霧状になった雨粒が屋内に吹き込むのを防ぐためのもの。幕板のある建屋は、降水量の多い地域での意匠のポイントらしい。
20170226_73角長(かどちょう) 天保12年(1841)創業の醤油醸造の老舗。
               ↓慶応2年(1866)建築の職人蔵                
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170年前の蔵。説明によると「以前蔵の天井を新しくすると下の桶だけうまく発酵しなかった」蔵の天井、壁、床に美味しい醤油のために必要な酵母「蔵つき酵母」が住み着いおり、蔵の古さには意味があるのだ。
           ↓昔から使われている吉野杉の桶
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太田久助吟製 元は180年前創業の醤油醸造家。現在は老年のご夫婦だけで金山寺味噌を製造販売している。 ご主人曰く「あと何年できるか」と寂しそうだった。
          ↓江戸末期建築・厨子(つし)二階と本瓦葺き
20170226_117加納家↓ 大正10年建築。その時代に流行した黒漆喰仕上げの二階には、袖壁や繊細な木格子の窓。一階には出格子。20170226_78「小路小路」 (しょうじこうじ) ↓ 江戸時代の地割りが残っており、主要な通りだけではなく写真のよ20170226_14うな小路が網の目のように張り巡らされている。
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